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西大島校ブログ

阿部慎之助監督の報道に思うーーAIと人について

更新日:2026.5.29

江東区・北砂 個別指導学院TOCO西大島校 石戸です (Vol.28)

本来は、数学の話を投稿したいところでした。しかし、現在白熱している読売巨人軍の監督を辞任した阿部慎之助監督のいわゆる体罰の報道について、どうしても触れておきたいと思い、変更させていただきます。

(受験テクニックや定期考査などの対策は、入塾していただいてからたくさんできます。その根底にある教育観・教育理念こそが最重要であるととらえています。細かく丁寧にテクニックを示すことが、必ずしも入塾につながるとは考えていません。むしろ、「あっ、なるほど、そうやっていけばいいんだ」と、そこだけを読んでいただいて満足されてしまわないとも限らないからです。)

さて、私はかつて何回も児童虐待を通報をしてきたことがあります。学校や医師や子供に接する仕事や立場にある者の責務でもあるからです。

何回も通報してきた中で、記憶が鮮明な2つの事件がありました。

1つは、解決できないまま見届けたのが悔しくてなりません。それは、約40年前、デパートで起きたことでした。小学1年生くらいの男の子が母親らしき人に連れられて、様々な陳列商品を見ていました。こちらも同じようにウインドウを覗いていたのですが、その親子はあきらかに、他の大勢のご家族とは違った様子でした。

それは、急に泣き出したことでわかりました。なぜ泣き出したのか、それは、母親らしき人に叱られたのでしょう。ただ、「あれ買って、これ買ってばかり言いやがって」との言葉とともに、仰天したのは、身長もまだ伸びきっていない我が子(?)を容赦なく、何回も足や背中を蹴り飛ばしていたではありませんか。気づいたのは我が家だけではありません。周りの家族連れも気づきながら、何も成すすべがなかったようです。

倒れている小さな子を、まるでプロレスラーが、相手レスラーをジャンプして蹴るような様子でした。泣き方も尋常ではありませんでした。

あまりの光景に、後先のことや周りのことなど整理できませんでした。ただ、大声で「何やってるんだあ!」と。

気づいた時には、フロア全体にまで届くほどでした。私は、走って駆け寄りましたが、「あんたに関係ない!」と答えたではありませんか。私は「関係ないじゃ、ない!  なぜ そこまで叱るんだ。蹴るなんて酷すぎる!!」と。

すると、今まで、知らん顔をしていた多くのお客さんが遅まきながら駆け付けて、取り囲んでくれました。大勢の鋭い視線に気づき、いたたまれなくなった女性(子供は泣き止みましたが、体中をさすっていました)は、その子の手を引っ張って、猛スピードで逃げて行ってしまったのです。このエピソードは、後々のことを考えると、今でもぞっとします。デパートの店員さんにも警備員さんにも一般のお客さんたちにも、まだハラスメントやコンプライアンスなどという概念、虐待と躾との違いなどへの理解が進んでいない時代でした。

もう1つは、明治通りで起きた出来事です。                                  私の娘がまだ3歳だった時であったことをよく覚えています。                          外国にルーツをもつ母親が(後から聞いたところ、祖国の友人に国際電話をしていたのか、それとも来日している友人なのか、に電話するために)寝かしつけた我が子を部屋に一人置いて(スマホもなく、公衆電話という手段しかなかったらしいが)長電話をしていたようです。                                          私が、職場を退勤して帰宅する途中で、娘と同じ3歳くらいの女の子が、亀戸駅付近の明治通りを泣きながら(自動車が行きかう中、横断歩道ではない場所。片側2車線の明治道路の中央まで)渡っていました。

幸いに自動車の量が少なく、赤信号で止まってくれていたので、私が急いで抱き上げて片方の歩道へ連れてくることができました。それでも、どこから来たのか(どこの住所なのか、ママはどうしたのか)言えません。             おむつは取れていましたが、びっしょり濡れていました。夏だったはずですが、おそらく心細くて泣きじゃくり、おしっこをもらしながら、ママを探していたのでしょう。

交番がありましたが、まず、ガラケー(スマホもない時代)で妻に電話をし、「今、〇〇(娘の名前)と同じくらいの女の子が・・・」と事態を端的に話しました。妻はタオルや娘のパンツ、ビニル袋を持ってタクシーで飛んで来てくれました。

夜遅くまでドーナツ屋さんが空いていたので、トイレ内で妻が着替えをさせてくれ、ドーナツ屋さんで温かいものを冷ませて飲ませました。10分間くらいは、なかなか泣き止みませんでしたが、真向かいに交番があったので、連れて行って親を探してもらうことにしました。

妻は、祖父母と留守番をしている息子や娘の待つ自宅へ戻りました。ほどなく、件(くだん)の母親が、その交番にやってきて「どこにいたの?寝てたでしょ?扉開けちゃって、一人出てきちゃダメでしょ!」と片言の日本語で、その子に叱責しました。

私が声を発しようとするや否や警察官が「『どこにいたの?』じゃないよ! まず、こちらの御主人にお礼を言うんだよ!」と逆に親に対して説諭をしてくれました。

母親は、日本ではそういうものなんだな、面白い国なんだな、といった受け止めのようでしたが、自分自身の寂しさのやり場のない気持ちでいっぱいだったみたいです。

「パンツも洗って返す」と言ってお辞儀もしてくれましたが、「この年齢の子を独りにさせない」ということだけを約束して別れました。

さて、野球界に限らずスポーツの世界でも様々な不祥事がありましたが、阿部監督の辞任は、衝撃を与えました。  辞任というよりは実際上の更迭なんでしょうが、世間では賛否が大きく分かれているようです。          家庭内の出来事なのに社会的制圧は度が過ぎているとみる人もいれば、アルコールを飲んでいて胸ぐらをつかんだり押したのは良くないなどの意見も。

また、監督には選手と違う自覚や矜持があってしかるべき、と。あるいは低迷しているチームを途中で投げ出したことは大人げない、などとも。ましてやチームがジャイアンツともなれば伝統や誇りだけでなく、オーナー達の思惑も見え隠れしてきます。

私は、阿部監督の行為に対して決して良いとは思わないまでも、AIに相談したお嬢さんを安易に責めるわけにもいかない、と感じました。

これは、単なる家庭内(きょうだい喧嘩とか親子喧嘩とか)の問題として片付けていられなくなりました。というよりは、もっと社会的に(世界的に)根深いものが潜んでいるような気持ちになってしまったのです。

高邁な理論を述べるつもりはありません。ただ、相談した相手がAIだったことに関しては、私たちはもう一度立ち止まって考えるべきではないのか、ということです。

もちろん、今や どんな領域の仕事や遊びでも活躍の度合いが広くなりはじめたAI(人工知能)ですので、上手に活用していくことは賢明です。

ただし、活用する側の“心根”の問題が残ります。“心(根)”などというと目に見えないのでわかりにくいですが、最終的には「人間らしさ」に行きつくのではないか、と考えているのです。                     人間が、機械に負けてはなりません。逆に活用されてしまったら本末転倒です。                『2001年宇宙の旅』や『モダン・タイムス』という半世紀以上前の映画が一番強調したかったことかも知れません。

 

AIがもっともらしい嘘(事実とは異なる情報)を出力することは、「ハルシネーション」といいますが、精巧なフェイク画像・映像(ディープフェイク)の作成など、さらには戦争にさえ用いられるという脅威も十分にあるのです。生成物の権利侵害やプライバシーに関する懸念(著作権や倫理の問題)もあります、

今回の出来事は、AIも児相も警察も自分自身の役目を淡々とこなしただけで、誰かに問題があったとは決められない部分があります。

しかし、繰り返すようですが、AIは人間を完全に替けるものではなく、「人間の作業を(強力に)サポートする『道具』」として、今後も共存しながら進化させていくものです。                        最終判断は「道徳性」のある人間自身なのだ、と肝に銘じたいと思っています。

 

今回は、身近なニュースから難しい話へと発展させてしまいましたが、もっと単純な表現で結論すると、「親子」「きょうだい」「夫婦」「友人」「地域」の厳しくも温かな結びつきであるとか、絆であるとか、そんなものが機械なんかに邪魔されないようにしたい、のです。効率ばかりに心を奪われずに、もっともっと“泥臭く”、もっともっと“泣いたり笑ったりしながら生き生きと”、もっともっと“血の通った人間らしく”暮らしていきたいと、考えたいのです。

私たちの命と同じように尊い子どもたちを機械なんかに振り回されずに、適時上手に使ってやる聡明さを育んであげたいですね。阿部監督は、自分の力で再起してくれるでしょう。お嬢さんが、必要以上に自己否定しすぎることがないよう、見守ってあげたいです。

 

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不思議な数字の性質

更新日:2026.5.28

江東区・北砂 個別指導学院TOCO 西大島校 石戸です。 (Vol.27)

 

いきなりですが、今回はクイズを解いてもらいましょう。

「142857」

この6桁の数字に1〜6をかけると、数字の順番がぐるぐる入れ替わる(循環する)不思議な現象が起きます。   やってみてください。

さらに7をかけるとどうなるでしょうか?

  • 142857×1 = ?
  • 142857×2 = ?
  • 142857×3 = ?
  • 142857×4 = ?
  • 142857×5 = ?
  • 142857×6 = ?
  • 142857×7 = ?

さて、どんな大きな桁の数字に「0(ゼロ)」をかけた場合には、必ず答えは「0」だということは、皆さんご存知でしょう。

しかし、誰が「0(ゼロ)」を発見したのか、発明したのかは、いかがですか? 私は、人類にとっての大発見であり、大発明であるといえると考えています。                                 「0(ゼロ)」という概念が生まれ、皆に紹介されなかったとしたら、数学や統計学などは、発展しなかったでしょうし、医学や解剖学、薬学、経済学にも限界が起きたことでしょう。まあ、誰が発見・発明したとしても、人類的な貢献であったということだけは間違いありません。

数字の「0(ゼロ)」は、6世紀頃の古代インドで発見・発明されました。それまで「位取り(くらいどり)」の空白として使われていた概念が独立し、計算を可能にする数字として体系化されたのが始まりです。

数字の「0」がたどった歴史と重要なポイントは以下の通りです

  • 古代の空白(紀元前)・・・バビロニアやマヤ文明などでは、数の位(くらい)を表すための「空白(プレースホルダー)」として使われていました。
  • 数字としての誕生(6世紀頃・インド)・・・古代インドの数学者たちが「無」を意味する概念と結びつけ、計算ができる「0」という数字を確立しました。
  • 世界への伝播・・・インドで確立されたこの記数法はイスラム世界に伝わり、のちにアラビア数字(インド・アラビア数字)としてヨーロッパへ広がりました。

では、なぜ「0」の発見・発明はそこまで偉大なことだったのか?

○位取り記数法・・・0のおかげで、10や100などの大きな数を特別な記号を使わずに表せるようになりました。

○無限と代数の発展・・・0の発見により方程式やマイナスの概念(負数)の計算が可能になり、現代の数学や科学の基礎が築かれました。

さらにもう少し深堀してみたいと思います。

「何もない状態」を数として認め、計算できるようにしたゼロの発見は、人類の歴史における最大の偉業の一つと言われていわれていますが、ゼロの発見には大きく分けて2つの段階があります。

1.空白を示す「記号」としてのゼロ

○役割: 位(くらい)が空であることを示す記号。

○例: 「105」の十の位には何もないことを示すためのスペースや点。

○歴史: 紀元前のバビロニアやマヤ文明などでも、独自にこの形のゼロが使われていました。これらは「記号」であり、まだ計算できる「数字」ではありませんでした

2.計算ができる「数字」としてのゼロ

○役割: 「0を足す」「0をかける」といった、四則演算ができる独立した数字。

○歴史: 6〜7世紀のインドで確立されました。

○功績: 7世紀のインドの数学者ブラーマグプタが、「ある数に0を掛けると0になる」といったゼロの計算ルールを本にまとめました。パキスタンで発見された「バクシャーリー写本」には、3〜4世紀頃の最古のゼロの文字(黒点)が残されています。

ゼロがもたらした2つの革命

○どんなに大きな数も簡単に書けるようになった

・0から9までの「10個の数字」と「位取り(桁をずらす)」の仕組みだけで、無限に大きな数まで表現できるようになりました。

○複雑な計算や数学の発展を可能にした

・ゼロができたことで、のちに「マイナスの数(負の数)」という概念も生まれ、現代の科学技術やコンピューターの基礎となりました。

 

一、十、百、千、万のあとの億、兆、京、垓くらいは、御存知でしょうが、そのあとは、 / じょ)穣(じょう)溝(こう)澗(かん)、正(せい)、載(さい)、極(ごく)と続きます。さらに、恒河沙(ごうがしゃ)(恒河沙とは、ガンジス川の砂の数という意味)となります。さらに、阿僧祇(あそうぎ)那由他(なゆた)、不可思議(ふかしぎ)、無量大数(むりょうたいすう)となります。ちなみに「無量大数」は10の68乗ですが、「恒河沙」や「阿僧祇」や「那由他」や「不可思議」はインド発祥の仏教から考えられた数の概念だそうですが、やはりインドの方々が数学に強く、IT関連の仕事に就くエリートが多いのにも意味があるのでしょうか。

インドには、独特な計算方法もあります。日本の「かけ算九九」にあたるものも2桁とか3桁もあると聞いたことがあります。

日本にも、世界に誇る数学・算数・算術の技法があることを知っていますか?

それらについては、次号以降で詳しく述べます。

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世界の中で、日本人の英語力はどのくらい通用しているのか?

更新日:2026.5.27

江東区・北砂 個別指導学院TOCO 西大島校 石戸です。 (Vol.26)

以前に、このブログでも紹介した「ジョン万次郎」(江東区北砂の地から日本で初めて英語教育をスタートさせた先生)が、いよいよ来年あたりNHKの朝ドラか何かで放映されるということを聞きました。私は、江東区から英語熱が増してくることを期待している一人です。

当塾(個別指導学院TOCO西大島校)でも、一般入試の受験対策や日頃の学校のテスト対策の他に、英検、TOEFL等の受験対策に重点化し、多くの合格者を輩出しています。ネイティブ講師やバイリンガル講師、元大学教授、元私立高校(進路担当)教職員のほか有名予備校講師、難関大学の現役大学生、英語と日本語の通訳などを積極的に採用してまいりました。

それはなぜか。特に英語に力を入れたい理由は、日本の英語教育に危機感を覚えているからでもあります。文科省の批判をするわけではありませんが、世界の中の日本の英語力を冷静に見つめ直した時にこのままの学習法でよいのだろうか、と問い直さざるを得ません。

AIに調べさせた具体的なデータをご紹介しましょう。

○世界全体の中で日本人の留学者率は、たった「1%未満」であり、世界的に見ても極めて低い。

○世界全体ではグローバル化に伴い留学者数が右肩上がりに急増しているのに対し、日本は「内向き志向」や経済的要因から、世界平均や他の主要国を大きく下回る水準にとどまっている。

世界英語能力…世界123カ国中 96(5段階中、最も低い「非常に低い能力」グルー

○国際留学試験:4つのスキル別スコア(元のデータ名:TOEFL iBTの国別平均データ)
海外の大学への留学時に使われる世界共通の英語テスト(120点満点)のデータ。

日本の平均点は73で、先進国(OECD加盟国)の中で最下位クラス

英語のスキル(技能) 世界平均と比較した日本のレベル 特徴
読む力(リーディング) 標準レベル 学校の受験勉強の成果が出ており、比較的得意。
聞く力(リスニング) やや苦手レベル 聞き取りはある程度できるが、速い会話には苦戦。
書く力(ライティング) 苦手レベル 正確な文章を自分で組み立てるのが遅い。
話す力(スピーキング) 世界最下位レベル 圧倒的に低い。アジア圏でも突出して最下位。

○日本の社会人が、実際のビジネス現場でどれくらい英語を話せるかを調べたデータ

世界で通用するレベル(自立して議論ができる):わずか 6% 7%

日本の英語の学習では、「学校で習う『読む・聞く』はある程度できているが、社会や世界で一番求められる『話す・書く』の発信力が圧倒的に足りていない」という現実を明確に示しているのです。

 

《以上のデータからみえてくる結論》

なるべく早い時期(小学校時代)から、バイリンガルやネイティブティーチャーの発する音に慣れ、自らも話せるようになる。もちろん、文型・文法や単語・イディオムも覚えていけるように学習習慣を身につけていくことも必要です。読む力・書く力も伸ばしていきたいですね。

当塾(個別指導学院TOCO西大島校)では、中学生になってからの英検や大人になってからの留学では遅い、との観点で考えています。

豊かな経験や高い指導技術に優れた講師陣を揃えられてきたので、そろそろ「小学生からの英語」にも重点を置いていこうと計画しています。

楽しく、わかりやすく、良い発音で耳慣れをし、まずは英検の5級・4級も取得してしまいましょう。お友達や親戚などとお誘いあわせで、「世界を見据えたTOCOの小学生英語」に遠慮なくお越しくださいませ。

お問い合わせは  03(5665)0752 へどうぞ(火曜~土曜の13:00~22:00まで)

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書籍『白珠を我は知りしか――わが精神形成と人間教育の道』の紹介

更新日:2026.5.26

 江東区・北砂 個別指導学院TOCO 西大島校 石戸です。(Vol.25)

 

かつて『白珠を我は知りしか――わが精神形成と人間教育の道』の著者である梶田叡一(かじたえいいち)先生とお会いしたことがあります。

先生は、日本の教育心理学者。兵庫教育大学名誉教授。京都大学文学部哲学科(心理学専攻)卒業。文学博士。国立教育研究所主任研究官、日本女子大学助教授等を歴任されました。そんな経歴なのに、偉ぶることなく、温和で、人懐っこい面が魅力的です。

心理学者の梶田叡一さんは、自らを“人間学者”とも語ります。今年初頭、自叙伝ともいえる新著『白珠を我は知りしか――わが精神形成と人間教育の道』(鳳書院)を著されました。

その著書の中で先生は、これまでのご自身の精神形成が心理学や教育の先人たちとの思想交流の中から形成されてきたことを率直に語っています。

その真剣で誠実な姿勢が心に響いてきます。京都の学生時代から、コリン・ウィルソンの「アウトサイダー」、サルトルやカミュなどの実存主事哲学、キリスト教・仏教などの宗教哲学を経て、カール・ロジャーズ、G・W・オルポートなどの人間存在を深める心理学の道に突き進んでいく過程が語られている。そして、ベンジャミン・ブルームとの出会いの中で、「心理学、人間学の一種としての教育研究」が始まったと述べられています。

梶田先生は、「『社会のための教育』ではなく、『教育のための社会』に」「教育者の力が重要」「教育の深さが日本の未来を決定する」「人間形成の最終原点は『生きる力』だ。その『生きる力』には、『我の世界』を生きる世界と『我々の世界』を生きる力の2つがある」と指摘されている。「自身を鍛え、育み、豊かな情操と教養を持つとともに、世の中できちんと生き、自分の人生を豊かにする2つの力だ」としています。

時代は情報過多、喧騒が常態化し、タイパ・コスパ、攻撃的なSNS時代が加速している。「有能な『駒』ではなく、賢明な『指し手』であってほしい」と指摘されていましたが、人間教育、人間学がますます大切となってきています。

「白珠を我は知りしか」の言葉は、『万葉集』巻6(1018番)に収められている元興寺の僧(がんこうじのそう)の旋頭歌(せどうか)に由来しています。

白珠は人に知らえず 知らずともよし 知らずとも 我し知れらば 知らずともよし」  (現代語訳:真珠は人に知られない。しかし知られずともよい。たとえ人が知らなくても、自分自身が自分の価値を知っているのなら、それでよいのだ)

優れた才能や学識を持ちながらも、世間や周囲の人々に正当に評価されず、軽んじられることを嘆きつつも、「自分の本当の価値は自分自身が一番よく知っている」と誇り高く自分を慰めた歌として知られています。

人間教育や全人教育などという概念は、優れた才能や学識をもっている(頭脳だけを小手先で鍛える)ということではないはずです。

“知識を教え込む”といのも、偏っているようにさえ思えてきます。もっと、「生きる力の“源”」を鍛え、育みたいものです。

そういう意味からすると、個別指導学院TOCOの7つの教育理念は、ただただ、知識・情報を詰め込むのではないことがよくわかります。以下にご紹介します。

1.探求する、考える人になる

2.知識のある人になる

3.コミュニケーションに優れた人になる

4.心を開く人になる

5.思いやりのある人になる

6.挑戦する人になる

7.言葉を大切にする人になる

総括すると、「知性を深め感性を磨き、学びを喜びに変え、豊かな人生をデザインして日本を活性化する要になる人間を育てます」と約束することができるのです。

私どもTOCOには、知性だけでなく、感性までも磨いていける環境・機会がしっかりとあります。

その1つに、「夏期合宿」もあります。本年は、8月11日から14日までです。                  詳しくは、またお知らせいたしますが、大自然のなかの長野県で実施します。これまで体験してきた生徒さん達も、涼しく、豊かな学習環境のもと、「最高に良かった」という感想を述べていました。

昨今の児童・生徒たちは、ややもすると、スマホであるとか攻撃的な言説だとかの中に浸りがちです。      今の時代、じっくり“1日10時間の勉強”なんて、体験しようとしても、大概はできないものです。(私が、教員採用試験対策のために10時間を3か月間できたのも、スマホがなかったからかもしれませんし、ゲームにはあまり興味がなかったからでしょう。そして、絶対に「自分の人生をデザイン」したかったからです!)

TOCOの生徒は、教育立県でもある長野の大地で、スマホやテレビ等から離れ、寝食を共にし、夕焼けや星空や植物・昆虫も観察しながら、思いっきり学び、たっぷり体を動かして、知性と感性を育んでもらえるチャンスがあります。

 梶田叡一先生が言われた「『我の世界』を生きる世界と『我々の世界』を生きる力」の基になる人間教育の教育理念は、当塾TOCOで、現実性をもって挙行されているのです。

 

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さあ、「夏の陣」を突破しよう!!―――ウサギとカメの寓話から

更新日:2026.5.21

江東区・北砂 個別指導学院TOCO西大島校 石戸です。Vol.23

 

前回、中学生から高校生へ向けて、定期考査(定期テスト)対策を一緒に考えていきました。

その結果を待ってからでは遅いのは、「夏の陣」です。そうです、「夏期講習会」です。

もちろん、様々な進路を調べて選択していくことも、長期の戦略(マップ等「年間の計画」)を立てたり目の前にある中間テストに全力を注いだりすることも非常に大切なことです。

ただ、たとえば、進路先である志望校が決まったから安心であるとか、受験までのロードマップが完成したから大丈夫であるとか、そういったことに満足してはいられません。

戦国時代であったならば、目下の戦い(課題=中間テスト)の勝敗がわかるその前に、すでに次の攻め方を考え抜くことが最重要です。

それは、良い結果でもよくない結果の場合でも同じです。

期待通り・目標通りの良い結果であったならば、その結果に甘んじることなく、その勢いのままに畳み込むように突っ走りたいです。目標の(あるいは「評定5」に対して)ほぼ、9割、8割を達成した人の場合、また残念ながら6割、5割以下の結果になってしまった人の場合はどうでしょう。(「評定が1か2か3」など)

良くなかった場合には、自己の課題を早急に見つけ、克服の手立てを講じなければ、さらに悪い方向にいってしまうでしょう。

特に、英語や数学は積み重ねていく教科だからです。土台となる基礎がぐらついているのに、その上に、何階建ての建物を建設できるでしょうか。また、国語に至っては、1週間や2週間の付け焼刃の対策では、急には基礎学力は向上せず、他の教科にも影響を与えかねません。

翻って、良い結果だったと満足している人も、この夏(約40日間の夏季休業)の間に、油断していると、いくらでも追い上げられ、追い抜かされることを承知しておかなければなりません。

私たちは、「兎と亀」の寓話から学ぶことが少なくありません。足の速い兎は、自分の力を過信しすぎたため、ひたむきに努力した亀に負けたわけです。しかし、万が一兎が過信しなかった(途中で昼寝をしなかった)ら結果はどうだったでしょう。

私は、こう考えます。そもそも、競争しているのは、(一見、そう見えるのですが)誰か相手とではないのではないか、ということです。

(評定は仕方ない部分もありますが)誰かと比較しての学習は、果たして本当に楽しいものでしょうか。

私には、あの寓話は、一人一人の人間の癖を表現しているのではないか、つまり、誰かとの競争ではなく、自分自身(本人対本人)の戦いを意味しているのではないか、と思えてくるのです。

寝てしまうのは、兎なのではなく、自分の力を過信してしまった“夏という大事な時期”(春は良いスタートダッシュができたとしても、夏は、暑さや疲れ等で真剣みが入らない時期、油断する時期)を迎える人間の在り様を端的に表現しているのではないか、と。

速ければ速い分、昼寝(油断)せず、自分のペースを最後まで貫くことが重要なのではないでしょうか。それが、できそうでありながら なかなかできないのが、人間らしさでもあります。

そして、亀の視点で言えば、決して速い歩みではなかったのですが、相手が兎だったから、勝てたレースだったわけではないということです。

相手が、どんなフォームだろうが、良いシューズを履いていようが、たゆまず、あせらず、着実に、堅実に自分の本来のまま、ありのままの力を最後の最後まで貫ききったということが、素晴らしいのです。

肝心なのは、本気になれば勝てる、もう1回勝負しよう、などということは言えない現実です。少なくても兎にはそれを言える資格はありません。

油断しそうな時、また、もっと良い走りができそうな人のために、叱咤激励してくれるコーチ、メンター、指導者の存在が必要です。

誰かに勝とうとかする前に、惰弱になりそうな自分、油断しそうな自分、なかなか課題解決に至らない自分、課題すらも見つけにくい自分を乗り越えるために、内発性と外発性の両方が極めて重要です。(自力と他力)

私たちTOCOの講師である「とことん先生」たちは、たとえ兎さんだろうと、亀さんだろうと、その子のゴールに向けて、とことん伴走していくから大丈夫なのです。

夏の陣(夏期講習会)は、どんな子でもぐんぐん伸びていける絶好のチャンスなのです!!

生徒全員にアンケートを実施し、対話し、保護者の皆さん全員と面談をして、ゴールを目指していく、最適な作戦を一緒につくっていきましょう。

この夏の陣から参加する生徒さんも大勢いると思いますが、まずは塾生を最優先したい気持ちです。

TOCO西大島校では、大学の名誉教授、大手予備校の講師、高校の教職員、現役有名理系大学生などが皆さんを待っています。

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勉強は実は楽しい!あとは勉強法です。個別相談も随時受付中!

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