阿部慎之助監督の報道に思うーーAIと人について
江東区・北砂 個別指導学院TOCO西大島校 石戸です (Vol.28)
本来は、数学の話を投稿したいところでした。しかし、現在白熱している読売巨人軍の監督を辞任した阿部慎之助監督のいわゆる体罰の報道について、どうしても触れておきたいと思い、変更させていただきます。
(受験テクニックや定期考査などの対策は、入塾していただいてからたくさんできます。その根底にある教育観・教育理念こそが最重要であるととらえています。細かく丁寧にテクニックを示すことが、必ずしも入塾につながるとは考えていません。むしろ、「あっ、なるほど、そうやっていけばいいんだ」と、そこだけを読んでいただいて満足されてしまわないとも限らないからです。)
さて、私はかつて何回も児童虐待を通報をしてきたことがあります。学校や医師や子供に接する仕事や立場にある者の責務でもあるからです。
何回も通報してきた中で、記憶が鮮明な2つの事件がありました。
1つは、解決できないまま見届けたのが悔しくてなりません。それは、約40年前、デパートで起きたことでした。小学1年生くらいの男の子が母親らしき人に連れられて、様々な陳列商品を見ていました。こちらも同じようにウインドウを覗いていたのですが、その親子はあきらかに、他の大勢のご家族とは違った様子でした。
それは、急に泣き出したことでわかりました。なぜ泣き出したのか、それは、母親らしき人に叱られたのでしょう。ただ、「あれ買って、これ買ってばかり言いやがって」との言葉とともに、仰天したのは、身長もまだ伸びきっていない我が子(?)を容赦なく、何回も足や背中を蹴り飛ばしていたではありませんか。気づいたのは我が家だけではありません。周りの家族連れも気づきながら、何も成すすべがなかったようです。
倒れている小さな子を、まるでプロレスラーが、相手レスラーをジャンプして蹴るような様子でした。泣き方も尋常ではありませんでした。
あまりの光景に、後先のことや周りのことなど整理できませんでした。ただ、大声で「何やってるんだあ!」と。
気づいた時には、フロア全体にまで届くほどでした。私は、走って駆け寄りましたが、「あんたに関係ない!」と答えたではありませんか。私は「関係ないじゃ、ない! なぜ そこまで叱るんだ。蹴るなんて酷すぎる!!」と。
すると、今まで、知らん顔をしていた多くのお客さんが遅まきながら駆け付けて、取り囲んでくれました。大勢の鋭い視線に気づき、いたたまれなくなった女性(子供は泣き止みましたが、体中をさすっていました)は、その子の手を引っ張って、猛スピードで逃げて行ってしまったのです。このエピソードは、後々のことを考えると、今でもぞっとします。デパートの店員さんにも警備員さんにも一般のお客さんたちにも、まだハラスメントやコンプライアンスなどという概念、虐待と躾との違いなどへの理解が進んでいない時代でした。
もう1つは、明治通りで起きた出来事です。 私の娘がまだ3歳だった時であったことをよく覚えています。 外国にルーツをもつ母親が(後から聞いたところ、祖国の友人に国際電話をしていたのか、それとも来日している友人なのか、に電話するために)寝かしつけた我が子を部屋に一人置いて(スマホもなく、公衆電話という手段しかなかったらしいが)長電話をしていたようです。 私が、職場を退勤して帰宅する途中で、娘と同じ3歳くらいの女の子が、亀戸駅付近の明治通りを泣きながら(自動車が行きかう中、横断歩道ではない場所。片側2車線の明治道路の中央まで)渡っていました。
幸いに自動車の量が少なく、赤信号で止まってくれていたので、私が急いで抱き上げて片方の歩道へ連れてくることができました。それでも、どこから来たのか(どこの住所なのか、ママはどうしたのか)言えません。 おむつは取れていましたが、びっしょり濡れていました。夏だったはずですが、おそらく心細くて泣きじゃくり、おしっこをもらしながら、ママを探していたのでしょう。
交番がありましたが、まず、ガラケー(スマホもない時代)で妻に電話をし、「今、〇〇(娘の名前)と同じくらいの女の子が・・・」と事態を端的に話しました。妻はタオルや娘のパンツ、ビニル袋を持ってタクシーで飛んで来てくれました。
夜遅くまでドーナツ屋さんが空いていたので、トイレ内で妻が着替えをさせてくれ、ドーナツ屋さんで温かいものを冷ませて飲ませました。10分間くらいは、なかなか泣き止みませんでしたが、真向かいに交番があったので、連れて行って親を探してもらうことにしました。
妻は、祖父母と留守番をしている息子や娘の待つ自宅へ戻りました。ほどなく、件(くだん)の母親が、その交番にやってきて「どこにいたの?寝てたでしょ?扉開けちゃって、一人出てきちゃダメでしょ!」と片言の日本語で、その子に叱責しました。
私が声を発しようとするや否や警察官が「『どこにいたの?』じゃないよ! まず、こちらの御主人にお礼を言うんだよ!」と逆に親に対して説諭をしてくれました。
母親は、日本ではそういうものなんだな、面白い国なんだな、といった受け止めのようでしたが、自分自身の寂しさのやり場のない気持ちでいっぱいだったみたいです。
「パンツも洗って返す」と言ってお辞儀もしてくれましたが、「この年齢の子を独りにさせない」ということだけを約束して別れました。
さて、野球界に限らずスポーツの世界でも様々な不祥事がありましたが、阿部監督の辞任は、衝撃を与えました。 辞任というよりは実際上の更迭なんでしょうが、世間では賛否が大きく分かれているようです。 家庭内の出来事なのに社会的制圧は度が過ぎているとみる人もいれば、アルコールを飲んでいて胸ぐらをつかんだり押したのは良くないなどの意見も。
また、監督には選手と違う自覚や矜持があってしかるべき、と。あるいは低迷しているチームを途中で投げ出したことは大人げない、などとも。ましてやチームがジャイアンツともなれば伝統や誇りだけでなく、オーナー達の思惑も見え隠れしてきます。
私は、阿部監督の行為に対して決して良いとは思わないまでも、AIに相談したお嬢さんを安易に責めるわけにもいかない、と感じました。
これは、単なる家庭内(きょうだい喧嘩とか親子喧嘩とか)の問題として片付けていられなくなりました。というよりは、もっと社会的に(世界的に)根深いものが潜んでいるような気持ちになってしまったのです。
高邁な理論を述べるつもりはありません。ただ、相談した相手がAIだったことに関しては、私たちはもう一度立ち止まって考えるべきではないのか、ということです。
もちろん、今や どんな領域の仕事や遊びでも活躍の度合いが広くなりはじめたAI(人工知能)ですので、上手に活用していくことは賢明です。
ただし、活用する側の“心根”の問題が残ります。“心(根)”などというと目に見えないのでわかりにくいですが、最終的には「人間らしさ」に行きつくのではないか、と考えているのです。 人間が、機械に負けてはなりません。逆に活用されてしまったら本末転倒です。 『2001年宇宙の旅』や『モダン・タイムス』という半世紀以上前の映画が一番強調したかったことかも知れません。
AIがもっともらしい嘘(事実とは異なる情報)を出力することは、「ハルシネーション」といいますが、精巧なフェイク画像・映像(ディープフェイク)の作成など、さらには戦争にさえ用いられるという脅威も十分にあるのです。生成物の権利侵害やプライバシーに関する懸念(著作権や倫理の問題)もあります、
今回の出来事は、AIも児相も警察も自分自身の役目を淡々とこなしただけで、誰かに問題があったとは決められない部分があります。
しかし、繰り返すようですが、AIは人間を完全に替けるものではなく、「人間の作業を(強力に)サポートする『道具』」として、今後も共存しながら進化させていくものです。 最終判断は「道徳性」のある人間自身なのだ、と肝に銘じたいと思っています。
今回は、身近なニュースから難しい話へと発展させてしまいましたが、もっと単純な表現で結論すると、「親子」「きょうだい」「夫婦」「友人」「地域」の厳しくも温かな結びつきであるとか、絆であるとか、そんなものが機械なんかに邪魔されないようにしたい、のです。効率ばかりに心を奪われずに、もっともっと“泥臭く”、もっともっと“泣いたり笑ったりしながら生き生きと”、もっともっと“血の通った人間らしく”暮らしていきたいと、考えたいのです。
私たちの命と同じように尊い子どもたちを機械なんかに振り回されずに、適時上手に使ってやる聡明さを育んであげたいですね。阿部監督は、自分の力で再起してくれるでしょう。お嬢さんが、必要以上に自己否定しすぎることがないよう、見守ってあげたいです。
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